Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

砲兵少尉ボナパルト

 今でも、英語は苦手だ。まあ、技術屋同士の打ち合わせなら、専門用語は英語なのでそれなりに通じる。それでも外国へ行って、先方に誘われたらディナーなど一緒しなくてはならない。こういう時が困る。いわゆる世間話というやつ。相手がアメリカ人なら、ベースボールの話を混ぜることにしていた。大体、彼らは地域のチームを話題にすると夢中になる。
 
 さて、ドイツではこの手が使えなかった。サッカーが盛んなのだが、僕がサッカーのことを良く知らない。そこで、二三試したあとで、軍事の話を混ぜることにした。発端は、ドイツ人が日本人を珍しがって「昔、一緒にやったよな。(第二次大戦のこと) またやろうぜ。今度はイタリア抜きでな」と言ってきたこと。後で聞くと、よくあることらしい。
 
 コンスタンツの近くに、絶壁の上に少し平らなところがある、奇妙な地形がある。その上は、ローマ時代から要塞だったという。近代まで難攻不落だったが、ナポレオン軍が初めてこれを陥落させたという。水の手を断ったのかと聞くと、独自の水源があってそうではないとの答え。正解はふもとに大砲を並べて、一杯砲撃したということ。その時代に、大砲の性能が向上したのだろう。

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 すかさず「なるほど、ナポレオン・ボナパルトは砲兵科だったからな」と答えた。これは事実である。コルシカ生まれの彼は、イタリア語が母国語なので士官学校公用語であるフランス語は苦手。小柄なので、体力の要るミッションも得意というほどではない。しかし、数学はピカ一だったという。
 
 砲兵は技術屋である。素早く弾道計算をできるのが、良い砲兵士官なのだ。最初の近代的コンピュータ"ENIAC" も、弾道計算用に開発されたものだった。数学得意の彼は歩兵科でも騎兵科でもなく、砲兵少尉として任官した。彼を有名にしたツーロン攻略戦では、砲兵を率いて突撃、帽子を撃ち抜かれたがひるまず目標を占領した。もし彼が長身だったら、その時点で戦死していたかもしれない。さて、ドイツ人は驚いたらしい。「どうして、ナポレオンが砲兵科だと知ってる?」と詰め寄ってきた。僕は、「日本が鎖国から目覚めて軍の近代化を図った時、イギリス・フランス・ドイツに学んだ。クラウゼヴィッツやナポレオン、ネルソン、フリードリヒ大王などの偉業はスベテの日本人が知っている」
 
 と大見栄を切ってやった。調子に乗ってややマイナーな、ジョミニ(戦争概論という著書がある)・ブリュッヒャーウェリントン(いずれもワーテルローでナポレオンを破った将軍)の名前も出した。ドイツ人は感動したようだ。まあ「危ない橋」だったかもしれませんがね。
 
<初出:2016.7>