Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

漢字を捨てた是非

 「水爆」実験で、ようやく韓国の文政権も北朝鮮への態度を硬化させ、対話という言葉はあまり聞かれなくなってきた。それは当然なのだが、ハングル文化が硬直した市民気質を作ったという指摘が2件報道されている。

 
 
 
 最初の記事が指摘しているように、同音異義語が続発して言葉としてはともかく読み物としては非常に読みづらいものになっているのは確かだ。全文ひらがな、もしくはカタカナで書かれた本があったら日本人はあまり読まなくなるだろう。だから一般市民の読書量が減って、知識レベルが上がらないのだという。次の記事は、それゆえデマゴーグに流されやすい市民集団を作ってしまい、国際的な問題を起こしてもとりあわない世論を形成したのだという。
 
 20余年深くは無いが韓国の人とつきあっていて感じたのは、英語を話す層とそうでない層がきれいに分かれているということ。高度な学問はハングル表記だけでは著すのも読むのも難しく、漢字混じりの本が減ると共に知識層は英語の本を求めるようになったようだ。
 
 だから僕たちのカウンターの人たちは、日本人よりずっと英語がうまい。英語の能力は出世に直結するので、ただでさえ教育熱心は韓国人の母親は、子供の英語能力向上のためにフィリピン等へ逆単身赴任するともいう。フィリピンは市街地なら普通に英語が通じるし、シンガポールや香港に比べて生活費が安い。

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 韓国内でも英語の私塾はいっぱいあるし、IT化も進んでいるのでそのまま(クラウド形で)インドネシア等に英語塾を広げている教育企業もあるという。ただ、やはり多くの市民がそこまでの英語能力を身につけられるわけではなく、所得の低い仕事に就くかそもそも仕事が無いということになってしまう。
 
 朝鮮半島に漢字を持ち込んだのは、昔の中国ではなく「日帝」だという最初の記事については、僕は少し疑問を持っているがいずれにせよ漢字を捨てたデメリットが顕在化してきたことは確かなようだ。民主主義というのは、市民が相応の知識を持たなければ衆愚政治に陥る。子供の頃、漢字のカキトリって面倒くさいなと思っていた僕ですが、それで仕事にありつけるならやっぱり必要なんですね。
 
<初出:2017.9>