Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

ソフトパワーによる犯罪抑止(後編)

 ミステリー(特にパズル・ミステリー)を読んでいて時々思うのは「なんで犯人はこんな見合わないことをしたのだろう」ということ。周到な準備をしてアリバイを作ったり、奇抜なトリックを考えて、苦労して犯行をやってのける。ちゃんと予定した被害者がその場所に来てくれるか、時間は大丈夫か、目撃者が出てこないかなど、運も必要である。

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 そういうわけで、ミステリー作家は犯人の動機作りに(トリック作りよりも)苦労する。遺産ねらいとか、家族の復讐とか読者が納得できるだけの動機は意外に少ない。これが87分署シリーズのような警察ものだと、衝動的殺人みたいなものでも読者は納得するので、少しは楽になるが。

 納得できる動機が見つからない、というのが法治国家に住んでいる僕たちゆえの感覚である。犯罪に見合う動機は少ないことを無意識のうちに知っているので、機会はあっても殺人のような重大犯罪は犯さないし人も侵さないだろうと思っているわけだ。これは倫理観もあろうが、「罪と罰」という種類のソフトパワー的抑止力である。
 
 「目には目を」のハムラビ法典に始まる法治主義によって、「人殺しに使えるかもしれないもの」を社会から取り除くとか、常に警備員を置くようなハードパワー的社会コストは抑えられているわけだ。しかし昨今「罪と罰」的抑止力が効かない犯罪者が、目立つようになってきたのも事実だ。

◆宗教的・原理主義的狂信者によるテロ(含む自爆テロ

◆長期間にわたり抑鬱された発作的犯行(銃乱射など)

◆ある種の偏見に基づく確信犯

 自爆テロに「罰」が意味が無いのは当たり前だが、障害者施設の事件では、容疑者は笑みすら浮かべてTV画面に登場する。こういう手合いには別の抑止力が必要だ。それは結局のところ「コミュニケーション」なのだろうと思う。犬養首相の「話せばわかる」ではないが、上記のような犯罪者(予備軍)に対しても世間が門戸を閉ざさないこと、話を聞いてやること、それによって予兆をつかむこと、一緒に問題を解決するように努力すること。

 もちろん、それで全ての狂信的犯行を防げるとは言わない。しかしそのような留意をすることが、今求められるソフトパワー的抑止力だと思う。横浜の病院でも、看護婦の衣類を裂く事件があった時点でしかるべき手が打てていれば、重大事件に発展しなかったかもしれない。あくまで可能性ではあるが。
 
<初出:2016.9>