Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

日米協力は必要だが(後編)

 官民あげてインフラ輸出というのはかなり以前からあった発想で、1980年代まで高度成長の余波を駆ってインフラ整備に尽力してきた(血道をあげてきた)業界としては、少子高齢化だ人口減少だバブル崩壊だと言ったところですぐに前向きのエンジンを止めることはできない。

 
 人口の少ない地方経済の担い手は建設/土木業である面が強く、公共事業頼りになっていったことも事実である。その人的パワーやノウハウを海外で生かそうと言うのは自然な発想。ただ、地方の工務店が「はい上海で受注しました」というわけにはいかないし、従業員も海外に出ることは厭うことが多い。これは一足先に海外展開をした製造業でも、当時は同じだった。
 政府がODAのようなスキームを作り、総合商社がおぜん立てをし、日本企業にODAのカネが還流してくるようにした時期もあった。これはもっぱらアジア諸国に対する「戦時賠償」の意味があったというが、結局使われないインフラを方々に残したという批判を後日浴びることになる。
 
 そんな時代の記憶も、今の政治家や(特に)官僚にはすくないのかもしれない。日本企業の海外進出に対する支援は、少し質を変えて続いているがうまくいっているものばかりではない。単一の企業では難しいからグループを作ろうとすることもあるが、JVなどで一緒にやることが多いゼネコンなどを除けば国内の企業と組むのもなかなか難しい。

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 それが今回は日米企業で共同プロジェクトをというのが、霞ヶ関からのご要望。米国側からも企業は出てきて、コーヒーブレイクの時などに話し合っている姿は見かけるが、これはもともとの知り合いのケース。別に政府に声かけてもらわなくても、既になにかしたことがある組み合わせだ。
 
 僕は午後の分科会(情報通信)で、「直ぐにかの国に対してこれを売りましょうというプロジェクトは難しい。まずお互いのビジネス環境を整えるために、当該国/地域に対して制度等の整備を進めることだ。例えばクラウド売りたいと思ったら、サービスを売る国とサーバーを置く国は違うことが多いから、国境を渡るデータを保証することを当該国に求めた。それが結局TPPの第14章に入って、11カ国での規制緩和につながる」と話した。環境が整えば、両国企業は組んでもいいし単独で挑戦してもいい。
 
 長い一日の最後、国務省のホールでパーティがあった。異業種の人初対面の人でも、国籍問わずお酒が入るとフレンドリーになる。本音の会話はここからスタート、そういう意味では意義のある会合だが、霞ヶ関/永田町の皆さんに申し上げたい。これは長い目で見てくださいね。
 
<初出:2018.5.