Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

半島に捨てに来たもの(3/終)

 ソウル駅の南南東、ソウルタワーも見ることができるところに戦争記念感館がある。地下鉄三角地駅からすぐのところである。今回、ヨイドでの会議の合間に久し振りに訪ねてみた。朝鮮戦争は3年ほどの間に半島の北から南まで、ほぼ全土が戦場になり、諸説あるが400~500万人の犠牲者を出した悲劇である。

 
 分断された家族や故郷を失う人も多く、今回就任した文大統領も両親は北朝鮮エリアからの避難民であるように、悲劇は現在も続いている。この記念館では、当時の兵器が数多く展示されているだけではなく、半島に起こったさまざまな悲劇の記録も見ることができる。

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 半島に海洋拠点を持ちたいとの、ロマノフ時代からのソ連の野望は理解できる。陸上戦力では圧倒していたわけだし、釜山までも手に入れることは可能だった。よしんば失敗しても、旧式兵器の捨て場所になったとスターリンが思ったかどうかはわからないが。
 
 ソ連はエジプトやシリア(ここには今でも武器供与しているが)、レバノンらに旧式兵器を譲渡し、中東戦争にも加担した。アラブの海に浮かぶ小国イスラエルは、闇マーケットで中古兵器を買い入れて独自の改装を施し戦った。ソ連は武器の供与を通じて関係国との連携を強化し、共産陣営の盟主として冷戦の主人公となった。これはスターリンとその後継者たちのビヘイビアとして、無理なく理解できる。
 
 一方突然参戦した中国(毛沢東)は、どうしてこのような挙に出たのだろうか。結果として(これも諸説あって)100万人規模の戦死者を出し、息子のひとりである毛岸英も失っている。
 
 先日、中朝の「血の盟友」など存在しないとの論説を読んだ。中国は苦境にある北朝鮮に味方して100万人からの犠牲者を出したのだが、決して義挙ではなく内政問題の始末をしただけだという。1950年の時点では毛沢東(共産軍)は蒋介石(国民党軍)との抗争に勝ち、蒋介石を台湾に追いやっていた。しかし国内には旧日本軍の影響がのこる勢力や中央に従わない地方豪族、国民党から離反したもののいつ寝返るかわからない勢力も残っていた。
 
 これらの勢力を国連軍の前に提供し、始末をしようとしたのが参戦の意味であるという。こうやって現在の中国政府の基礎を作ったのだとする説だった。なるほど、これなら中国に北朝鮮を救う義理も意思もないことがわかる。要するにスターリンは半島に旧式兵器を捨てに行き、毛沢東は不満勢力そのものを捨てに行ったのだ。半島の人たちから見れば、迷惑極まりない話である。
 
<初出:2017.5>