宜野湾市の南端、浦添市との境に近い嘉数一丁目にその公園はある。那覇と名護を結ぶ幹線国道58号の大謝名(おおじゃな)交差点から、坂道をゆっくり登って30分ほどで着く。沖縄戦の時の壕やトーチカの跡が残り、いくつかの鎮魂の碑も立っている。ここは、1945年4月2週間余り激戦が続いた「嘉数の戦い」の戦場だったところだ。高台公園という名のとおり、周辺を見張らせる。今は、てっぺんに球の形をした展望台がある。
欧州戦線ではひ弱なAFVである米軍のM-4シャーマン戦車も、太平洋戦線では悪魔も同然である。日本軍には対戦車兵器が乏しいからだ。それが、嘉数の戦いでは何両も破壊されている。シャーマン戦車の正面を打ち抜くことはできない37mm(クラス)の対戦車砲も、側面からなら機会があったろうし、装甲の薄い上面に当てることも、打ち下ろしの位置関係からいって可能性はあった。第62師団独立混成旅団(藤岡中将以下約6万人)は、一方的な航空攻撃と砲撃を受けながら約3倍の米軍の侵攻を2週間防いだ。ほぼ全員が死傷したという。
展望台からは、その小川のさらに1km北にある大きな航空基地が見える。そう、今日駐機しているオスプレイは1機だけだな。
<初出:2016.6>