Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

嘉数高台公園

 宜野湾市の南端、浦添市との境に近い嘉数一丁目にその公園はある。那覇と名護を結ぶ幹線国道58号の大謝名(おおじゃな)交差点から、坂道をゆっくり登って30分ほどで着く。沖縄戦の時の壕やトーチカの跡が残り、いくつかの鎮魂の碑も立っている。ここは、1945年4月2週間余り激戦が続いた「嘉数の戦い」の戦場だったところだ。高台公園という名のとおり、周辺を見張らせる。今は、てっぺんに球の形をした展望台がある。

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 公園の北側は急斜面になっていて、100mほど先は小川が流れている。幅は狭いが、結構急峻な谷である。この川は大謝名から牧港(まきみなと)湾にそそいでいる。谷は天然のクリークだ。破壊されたトーチカに入ってみると谷がよく見える。米軍AFV(Armored Fighting Vehicle)が谷を避けて迂回しようとすると、側面を射撃できるだろう。
 
 欧州戦線ではひ弱なAFVである米軍のM-4シャーマン戦車も、太平洋戦線では悪魔も同然である。日本軍には対戦車兵器が乏しいからだ。それが、嘉数の戦いでは何両も破壊されている。シャーマン戦車の正面を打ち抜くことはできない37mm(クラス)の対戦車砲も、側面からなら機会があったろうし、装甲の薄い上面に当てることも、打ち下ろしの位置関係からいって可能性はあった。第62師団独立混成旅団(藤岡中将以下約6万人)は、一方的な航空攻撃と砲撃を受けながら約3倍の米軍の侵攻を2週間防いだ。ほぼ全員が死傷したという。
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 展望台からは、その小川のさらに1km北にある大きな航空基地が見える。そう、今日駐機しているオスプレイは1機だけだな。 
 
<初出:2016.6>