Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

ホワイトカラーの生産性(後編)

 「仕事を時間で評価せず、その成果で判断する」というのが裁量労働制の意味だが、ブルーカラーの場合は「時間=成果」という面が強いので、あまり問題は起きない。労働時間あたりの成果(標準品質のものを何個組み立てるか)は決めやすいから。

 
 「裁量労働制を拡大すれば過労死が増える」という野党の主張は、労働者の役割をごっちゃにした議論に聞こえる。日本にはブルーカラーかホワイトカラーか区分の難しいポストや業務が多いのも確かなので、このようになったしまったことも分からなくもない。しかし本来この法案の焦点は、ホワイトカラーの生産性向上にあることを忘れてはいけない。

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 なぜブルーかホワイトかの区別がつけにくいかというと、米国などの高付加価値の企業と日本の製造現場中心の企業では、組織の体系が違うからだ。高付加価値企業では、組織は三階層しかない。一握りの幹部と、少数のマネジメント層、そして多くのノン・タイトルである。
 
 幹部は(法外な報酬ゆえに)無限に近い責任を負い、労働時間などという概念はない。マネジメント層は大きな意味(例:年間売り上げ、利益)での責任を負うがそれさえ達成できるなら、労働時間など意味はない。ノン・タイトルは「時間=成果」であろうがなかろうが、いろいろな管理の対象となるが責任範囲は限定される。
 
 日本企業はずっと複雑な階層組織を持っている。製造係⇒製造課⇒製造部⇒事業部⇒執行役会のような階層は最低あり、これに付属した各種の組織がある。この間を調整してゆくわけだから、ブルーかホワイトかわからない職種が増えるのだ。ただ日本企業も製造現場の海外流出は止められないので、高付加価値型に変貌せざるを得ない。
 
 こういうスタンスで裁量労働制高度プロフェッショナル制度も議論してほしいのだが、時間から労働者を切り離すと大きな課題が幹部やマネジメント層にかかってくる。それは成果をどう判断するか、状況により一律ではないし、個人の好き嫌いが入り込むのをどう回避するかなど「きちんと評価のできるしくみや人材」をどうするか、永遠の課題かも・・・。
 
<初出:2018.3>