Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

理想の国家を求めた反動(後編)

 EU/ユーロの実験は参加各国が議論をして選んだ道だが、歴史の中には大きな混乱の中で理想の国を目指す(というより目指させられた)ケースもある。僕たちに身近なのは、70年前の日本国憲法制定である。いろいろな資料が出ているが、その原案は米国の若手官僚/政治家の手になるものだと言われている。

 
 軍備を持たない理想の国家をイメージして、彼らは憲法草案を書いた。実際旧日本軍の解体には成功したのだが、朝鮮戦争が起きると日本の防衛に兵力が必要になり警察予備隊を招集、これが自衛隊の基になった。世界でも珍しい、年間予算5兆円を超える軍隊でも戦力でもない組織である。

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 欧州でも第一次欧州大戦の後、帝政ドイツを民主主義化する理想が試された。一足先に隣のロシアでは帝政が廃止され、ソビエト連邦への移行の混乱の最中である。帝政ドイツはワイマール共和国となったが、資源地帯の割譲、多額の賠償、大量の失業者など内政の安定に大童になる。この時代の欧州のことをあまり知らなかったので、書店で見つけたこの本を読んでみた。
 
 最初に驚いたのは、ワイマール共和国の1920年代がフランス革命直後のようにテロが横行する時代だったということ。もうひとつは、決してナチス党は圧倒的な民衆人気(支持率)で首相ポストや総統ポストを得たわけではないことだった。
 
 ヒトラー自身「ミュンヘン一揆」に敗れて刑務所送りになっているし、大統領選挙ではヒンデンブルグに敗れている。もちろん前大戦で将軍だったヒンデンブルグ老は、一等兵風情と選挙で戦う羽目になったことを怒っていたようだが。
 
 ナチス党が相応の支持を集めた後でも、得票率で過半数は取れていなかったと筆者(当時外務省職員でドイツ駐在)は書いている。ヒトラーや側近はもちろん、ヒンデンブルグ大統領にも直接会っている貴重な歴史の証言者である。第一党ではあるが支持率40%ちょっとのナチスに対し、他の政党が結束できなかったのがドイツの命運を決めたとの論調である。
 
 ある程度押しつけの理想の民主主義を掲げたワイマール共和国が、テロや経済苦境で崩壊していく過程がよく理解できた。同時に、理想が達成できなかった時の反動の恐ろしさも痛感した。欧州や米国でこれに類した何かが起こらないことを、切に願う。
 
<初出:2017.1>