Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

海洋国家の防衛ライン論

 かたや北朝鮮の金労働党委員長、かたや米国のトランプ大統領、両者の「口撃」はますますエスカレートしている。「口撃」をやっている間は双方とも手を出さないという専門家もいるが、専門家の予測とて常に当たるわけではない。グァムを包囲射撃するのはいつだろうかとか、B1爆撃機核兵器をつんでいるのだろうかとか、周囲としては(あの中国・ロシアも含めて)気をもむばかりだ。

 
 今月の初め、共和党の大物リンゼー・グラム上院議員が「大統領に予防攻撃容認を与える法案」を考えているとして、「戦争は現地で起きる。大勢が死ぬとしても向こうで死ぬ。こちらで死ぬわけではない」とTVカメラの前で語った。

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 戦争になった場合の日本への影響については、「半島のカタストロフィ」と題して4回連載しているのでそちらを参照いただきたいが、僕は日本側が妙な逡巡や博愛精神を持たなければ最小の被害で済むと楽観視している。
 
 ついにアメリカ本土が射程に入るICBMを持ち、潜水艦発射のSLBMも実験しているかの国に、さすがのアメリカ議員も堪忍袋の緒が切れた印象である。この予防攻撃戦争論と、戦争は向こうで起きるとしたロジックに、海洋国家の防衛線論を思い出した。
 
 2010年に亡くなった松村劭元陸将補の著書は、目につけば必ず買ってきて勉強しているのだが、一番面白かったのがこの「三千年の海戦史」。ここに陸棲国家と海洋国家の防御線に関する考え方の違いが書いてある。
 
 陸棲国家の場合、防衛線はその国境にあると考える。もちろん、国境で戦えば自国の領土にも被害が出るから国境線の少し外に(お互い)引きたがる。対して海洋国家は対岸の港の背中に防衛線を張るという。実例を言えば、イギリスは海洋国家であり対岸であるベネルクス3国が防衛ラインだ。アントワープ等の港はイギリスの生命線なのだ。
 
 日本の例で言えば、白村江の闘いは対岸の港(釜山等)を守るため、任那というエリアを守ろうとしたことで起きたものだ。そこで米国だが、広大な国土を持つとはいえ実は海洋国家である。そこがドイツやロシアとは異なる。そのドクトリンでは、やはり対岸の港の背中に防衛線を張りたがる。ミサイルや長距離爆撃機が発達して地球が狭くなったゆえに、港とは日本・韓国・フィリピンなどと思ってもいい。その中でも重要な「港」は沖縄である。
 
 イギリスはナポレオンやヒトラーベネルクス3国を支配した時は、決然として戦った。しかしその場所はグラム上院議員のいう「向こう」だった。このような発言が出るのは、米国の危機感の顕れ。さて、「向こう」の人たちや国はどうすべきでしょうか?この記事にあるように、大国の犠牲にされる小国、というステレオタイプの見方で悲観するよりは、当然の戦略思想と割り切って自衛の道を取るべきでしょうね。
 
<初出:2017.8>