パレスチナの地に囲まれた街エルサレム、現在はイスラエルの「首都」であるが、パレスチナの人たちにとってもここは聖地でありパレスチナの首都だという意識は強い。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教全ての聖地であり、その帰属は世界の最大課題である。
キリスト教の聖地である由縁は、近くのベツレヘムの洞窟でキリストが生まれたとする歴史(伝説?)にある。ではベツレヘムはというと、現在はパレスチナの中にある。この地区は「ヨルダン川西岸地区」と呼ばれ、数次の中東戦争の結果イスラエルの支配が強まったところである。
今でも、そこかしこに高い壁が設置されている。しかしベツレヘムのキリスト生誕の地は、キリスト教徒にとってとても訪れたいところである。ベツレヘム訪問はどうするのだろうと思っていたら、案内してくれるハイヤーがあるという。それに乗って国境へ行くと、パスポートの表紙を見せただけで通してくれた。観光客は歓迎ということだろう。
峡谷を縫うように両側に土産物屋の並ぶ道をのろのろ進み、ようやく目標の教会に着いた。欧米人を中心に、大勢の観光客(礼拝旅行者)が列をなしていた。僕はクリスチャンではないから見ていただけだが、連れの人はカトリックだそうで時間の制約はあるが礼拝したいとガイドに言っている。
ガイドは教会の神父に家族等の名前を書いて渡し、何らかの「お墨付き」を貰えば行列に並ばないで礼拝できるという。ちなみに神父へのお礼は、10USドルだったらしい。天国の沙汰もドル次第、というわけ。
無神論者の僕としては、それがバレたらその場で磔に掛けられそうなので、ビクビクしながら連れの人の礼拝が終わるのを待っていた。教会そのものは華美ではなく、荘厳な雰囲気。礼拝を待つ人たちも決して騒いだりはしない。やがて帰りのハイヤーに乗ってイスラエルの地に戻ると、緊張が解けた。命拾いである。
宗教にはこれまでまるきり縁のなかった僕、連れの人がカトリックだったおかげで、一生のうちにあり得ないであろう経験をさせてもらいました。
<初出:2018.3>