Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

機動力こそ戦力(帝国海軍)

 1942年、アイアンボトム・サウンド鉄底海峡)と呼ばれたソロモン諸島ガダルカナル沖では日米両海軍の死闘が繰り広げられた。1942年後半は両軍の戦力が拮抗していた唯一の時期で、それ以前では米国海軍が劣勢、それ以後では日本海軍が劣勢で一方的な戦闘が行われている。

 
 歴史を重視するシミュレーションゲームのデザイナーがこの時期に注目するのは当然で、日米両国ではこの時期を扱った多くのゲームが(デジタルも含めて)出版されている。1941年後半、日本海軍の戦力はピークに達していた。新鋭戦艦「大和」級の就役はまだだったが、戦艦10隻、正規空母6隻が太平洋に展開できた。
 
 しかしこの16隻の主力艦だが、個々に見ると課題がある。当時世界一の威力を誇った41cm砲を積んだ「長門」「陸奥」にしても、速力は25ktがせいぜい。最大速力34~35ktの「翔鶴」や「飛龍」に随伴するのは難しい。そこで空母艦隊の護衛には、10隻の戦艦のうち「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」の4艦が使われることになる。

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 この4隻、艦名が山の名前であることから巡洋戦艦として就役したことがわかる。戦艦は旧国名巡洋戦艦重巡洋艦は山の名前、軽巡洋艦は川の名前が付けられるのが当時の決まりだったからだ。十分な機動力が第二次世界大戦の戦場では求められ、結局一番活躍した戦艦は、この4隻だった。その1隻「比叡」が、鉄底海峡の1,000mの海底で見つかったという報道があった。
 
 
 1942年10月、ガダルカナル島を巡る1週間のキャンペーンがあり、島のヘンダーソン飛行場を砲撃に出た「比叡」「霧島」の2隻は米軍艦隊と交戦し、最初の夜に「比叡」が最後の夜に「霧島」が沈んで敗退した。この戦いを「第三次ソロモン海戦」という。
 
 昭和天皇が座乗した「御召艦」としても国民によく知られた艦は、70年以上鉄底海峡に眠っていたわけです。米国の探査チームの努力に敬意を表します。
 
<初出:2019.2>