Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

55年体制の亡霊

 衆議院議員補欠選挙が終わり、自民党が2つの議席を守った。東京10区は自民党というより小池派の勝利といえるだろうし、福岡6区は自民党の中で麻生派が敗れたといえよう。いずれにしても野党民進党の印象は薄く、投票率も低迷した。実は与野党対立なのではなく自民党内輪の争いかもしれないと思ったとき、死語となっていた「55年体制」という言葉が頭をかすめた。

 保守合同によって誕生した大政党「自由民主党」、その対抗勢力として「社会党」というのがあった。この一見2大政党制のような構図が「55年体制」である。保守であり、資本主義、自由主義であり、憲法改正(自主憲法制定)を掲げる与党自由民主党と、革新であり、社会主義を掲げ、護憲を貫く社会党

 
 その対立は実は表面上のことであり、実態は「国会対策委員会」でつながった、コインの表裏のような関係だった。それは後年野党に下っていた自民党が、社会党と連立し村山委員長を首班にかつぐという荒業をしてのけたことから明らかである。

 当時欧米の新聞は「日本に社会党政権誕生」と大々的に報道した。日本の深層を知らない欧米人は、仰天したに違いない。すでにベルリンの壁が崩れて5年以上たっている。なんで今、世界第二の経済大国日本が「東側」に行くのだろうかと。没落してしまったソ連(ロシア)に替わり、日本が東側の盟主として冷戦が復活する・・・と思った人もいるかもしれない。

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 55年体制下では自民党議員の敵は社会党ではなく、他の派閥の自民党議員であった。定員3の中選挙区では、自民党A派閥とB派閥が2議席取り、社会党が1議席自民党C派閥は次点に泣くという形態がよくあった。群馬県など福田・中曽根・小渕の3総理経験者が出ているが、まさに党内抗争のメッカといってもいいだろう。

 党内抗争にエネルギーがかかりすぎて政治が前に進まないという意見があって、それが「政治改革」という言葉につながり、今の小選挙区制になった。政治改革とは名ばかり、選挙区改革にすぎなかったのだが。小選挙区制ならば「政権交代可能な2大政党制」が望める、というのが売り文句だった。55年体制が「真の2大政党制」ではなかったことの証でもある。

 ところが昨今、特に蓮舫代表が就任してから、何か先祖がえりしたような気がしている。二重国籍問題は重大な政治問題である。それ以上に「台湾から帰化」というウソの経歴を示して選挙を勝ち抜いた彼女の責めは重い。安部政権から見れば、いつでも除去できる競争相手なのだ。

 それを延命させているのは、現状の方が政権に都合がいいからに他ならない。彼女を除いて別の代表が出てきたら、不確定要素が増えるからだ。これがどうも、コインの表裏だった55年体制に似た匂いを発散させている根源のようだ。
 
<初出:2016.10>