よく架空戦記に出てくる「八八艦隊」というのは、日本海軍が第一次世界大戦後の海上戦力の要と考えて企画したものである。近代型の戦艦を8隻、巡洋戦艦を8隻揃えるというものであった。当時の戦艦・巡洋戦艦(合わせて主力艦ともいう)の主砲は35cm〜38cm、これをしのぐために「八八艦隊」構成艦は、41cm〜46cmもしくはそれ以上の直径の砲身を装備することになっていた。
戦艦の一番館が「長門」、二番艦が「陸奥」、いずれも41cm(公けには40cmと言われていた)主砲8門を積んで完成した。本来10門積みたかったのだが種々の制約のため断念し、以降の「加賀」「土佐」はそうするつもりだった。一方、巡洋戦艦の一番艦は「赤城」、二番艦は「天城」。これらの艦は軍縮条約の締結により完成できず、「赤城」「加賀」は航空母艦に改装、「土佐」は標的艦となり、関東大震災で建造中に大破した「天城」は廃艦となった。
このような巨艦の建造や戦列化、維持には多額の費用が掛かるのは自明で、海軍軍令部などでは「八四艦隊」ではどうかなどと妥協案も出たが、そもそも10倍以上の国力を持つ米国などと競うのは無理な話だったと思う。
それから100年近くたって、海上自衛隊も「八四艦隊」に近づきつつある。かつては、ヘリコプター護衛艦8隻と搭載ヘリ8機で「八八艦隊」などと呼称したひともいたようだが、今回のはそれよりずっと重みがある。つまり、
◆イージス艦 8隻
まや型2隻 摩耶、艦名未定(DDG28)
◆全通甲板型ヘリ護衛艦 4隻
ひゅうが型2隻 日向、伊勢
いずも型2隻 出雲、加賀
<初出:2018.8>