旧「満鉄」営業開始から110年というので、いくつかの関連記事が出ていた。中国東北部を「満州国」として、日本が衛星国化していたことは事実であるが、全域を支配できていたわけではない。中国大陸に侵攻した時でも、重要な都市とその間の連絡線を確保できたのが精いっぱいだった。
とはいえ、歴代中国王朝の皇帝たちだって主要都市と連絡線を支配しただけで、その範囲を外れれば無法者が支配する領域だった。皇帝とは都市間交易網の管理組織の長だったとする歴史家の意見もある。管理のコストを、交易等にかける税で賄っていたのだろう。
さて満州国における日本の支配だが、主役となったのは「満鉄」。有名な張作霖暗殺事件をはじめ、地元の豪族や匪賊との紛争は、この鉄道沿線で起きた。その「満鉄」が8年ばかり運行した、「特急あじあ号」という列車がある。
この記事では大陸での運行の話しか書いていないが、実は「あじあ号」には東京からヨーロッパの都市まで直行する計画があった。今中国がやろうとしている、「一帯一路」に近いものだったように思う。満州鉄道からシベリア鉄道に乗り入れれば、ウラル以西まで列車を走らせることはできる。
しかし、東京からとなると問題が2つある。一つには狭軌と広軌(2本のレールの間隔)の問題。日本国内の鉄道は狭軌で、シベリア鉄道などの広軌と互換性がない。そこで東京・博多間には新しくより広い軌道の鉄道を引くことにして、ルート検討などが進んでいた。これが戦後、東海道新幹線・山陽新幹線の基本プランになったらしい。
もう一つの問題は、対馬海峡をどう越えるかという問題。答えは、青函トンネルと似た海底トンネルだった。ユーラシア大陸の反対側の国イギリスが、ドーバー海峡をくぐる線路で大陸とつながったのとも、よく似ている。ただ、この計画は日本の敗戦によって白紙化していたはずだった。