Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

オープン戦略・クローズド戦略(1)

 "LINUX" というオペレーティングシステムがある。"UNIX" の一種であるが、これはフリーでオープンソースとして共同開発されたというエポックメーキングな登場をした。それまで、オペレーティングシステムは重要なソフトウェアであり、有償なのが当たり前だった。それが「タダで手に入る」というので、関係者には衝撃が走った。

 タダ(フリー・オープン)のいいところは、普及しやすいということ。有償のものは、当座信頼は得られ易いが普及しづらい。似たような機能のものがタダでバラまかれれば、いずれは市場を失うリスクを抱えている。ICTシステムの供給者から見ると、タダにして市場形成するか、有償にして利益を確保するかの選択肢があることになる。これはジレンマでもあるが、オープン戦略をとるかクローズド戦略をとるかの興味深い経営テーマである。

 コンピュータの黎明期、砲弾弾道計算の専用機"ENIAC" は巨大なハードウェアだった。ソフトウェアと呼ぶべきものはなく、弾道計算のプログラムがあるだけだった。この時点ではオープン戦略もクローズド戦略も関係ない。物理的に"ENIAC" のあるところだけがサービスを受けられるからだ。

 

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 IBMはじめ米国各社が商用コンピューターを売り出すころになっても、根本的な違いはない。各社が独自に機器を開発・販売していた。ハードウェア・ソフトウェアと区別した値付けにもなっておらず、一式いくらという具合に取引されていた。業界全体がクローズド戦略だったといえるだろう。

 余談だが、このころソフトウェア・マニュアルはもちろんシステムオペレータ(エンジニア)まで機器添付品のような扱いだった。かといってオペレータ(エンジニア)が、軽視されていたわけではない。クローズド戦略ゆえユーザの知識が不十分になりがちで、大手ベンダーのエンジニアの声は「神の声」のように受け止められた。彼らの意向に沿わないとまっとうな計算結果が得られないのだから、ユーザとしては仕方がないことだった。

 僕が子供だった頃、大手企業でコンピュータの導入が始まったが当時珍しい空調完備の部屋で大きな機械がうなりを上げ、うろうろと米国人が歩き回っているという光景だったと聞く。日本企業がコンピュータを製造・販売し、エンジニアも日本人になってからも「ベンダーエンジニアの声」の威力はしばらく続いた。

<続く>