Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

沖縄平和祈念公園

 沖縄は、第二次世界大戦で日本で唯一地上戦が起きたところである。太平洋の戦況は、1944年初めにはほぼ見えてきた。米軍は太平洋の島(グアム・パラオ・トラック・サイパン・・・)やフィリピンを占領し、日本列島に迫ってきた。フィリピンの北にはバシー海峡を隔てて、台湾島がある。米軍は、台湾をスキップして沖縄攻略を狙った。

 
 すでに台湾の日本軍は弱体化していて、あえて占領する必要はなかった。もし上陸していたら、太平洋の島嶼とはケタの違う犠牲を出したことだろう。台湾のニイタカ山は、富士山より高い(当時の)日本の最高峰。峻険な地形で熱病などの危険性もあり、ゲリラ戦を展開されたら困った事態になる。
 
 それに比べて沖縄は、小さな島嶼群だ。沖縄本島の北部こそ深いジャングルがあるが、南部は比較的平坦である。それでいて、ここを抑えれば南方の資源地帯から日本本土に至るシーレーンを完全に封じることができる。長距離爆撃機を配備すれば、東京・大阪など日本の主要都市を航続圏内に収めることができる。中国軍と日本軍が対峙している中国本土も、朝鮮半島もにらむこともできる。

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 沖縄の地政学的重要性については、現在も変わることはない。普天間基地オスプレイは、ゆうゆう北京・平壌・マニラ・ハノイ・東京などまで往復できる。圧倒的な航空優勢と艦砲射撃に支援された米軍上陸部隊は、沖縄本島中部から南部に少しづつ前進した。以前紹介した嘉数公園など、いくつかの拠点で激戦が展開された
 
 多くの民間人を含め日本軍は南端に追い詰められ、最後に糸満市摩文仁の丘まで後退した。背後は絶壁と太平洋である。今このあたりは、戦跡国定公園になっている。路線バスではなかなか行きづらいところなので、観光バスツアーで行ってみた。公園周辺には、国立沖縄戦没者墓苑・平和の礎・黎明之塔・平和祈念施設・沖縄平和祈念資料館・沖縄平和祈念堂などがある。
 
 犠牲者の名前を刻んだ碑が延々連なっているし、各県の出身者別の慰霊碑もあって、厳粛な気持ちで歩いた。太平洋から吹き付ける風に向かうと、多くの人が身を投げたという崖が見えた。日本人として、一度は訪ねてみるべきところと思う。
 
<初出:2016.11>