Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

32年はあっという間(過去編2)

 田原総一朗著「新・日本の官僚」が出版されたころは、高度成長期からバブル期に入っていて、日本全体が豊かな実感にあふれていた。それに至るころ、田中内閣~中曽根内閣という長期政権で、多くの官僚の行動様式が変わったことは確かだ。

 

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◆外務省
 「ラッキョウ官庁」と呼ばれた外務省、その意味は通産、大蔵、農水、防衛など各府省が担当する部分を一枚一枚はがしていくと無くなってしまうから。中身がなく、儀典担当と通訳だけいれば十分ということである。自分で責任を取れる範囲が狭いから、「火中の栗は拾うなという外交」から、「火中の栗を(積極的に)拾え」というスタンスに変わったのも、中曽根内閣時代だという。
 
 その変化を僕らが感じたのはずっと後、10年ほどまえに外務省幹部と会った時「ご存じないでしょうが、外務省は経済官庁なのです」と言われた時である。確かにその後、その意図は理解できたし一緒できることも増えた。しかし「デジタル経済はまず民間、民間を巻き込まなくては進まない」ということを総務省経産省は理解してくれているが、外務省はまだまだだと思う。そのあたり、もっと脱皮してほしい。
 
◆文部省(現在は文部科学省
 政治家主導の改革が進まなかった官庁もある。中曽根首相は就任時、改革は教育からだと述べ「臨教審」を作ってコチコチに固まった日本の教育プロセスにメスを入れようとした。しかし官僚側の抵抗はすさまじく、バックにいる教員の組合やそれを地盤の国会議員の力もあって改革は進まない。あげく「ゆとり教育」などの迷走と、「成果主義」によって大学への支援金の配分を変えること程度しか出来ずに現在に至っている。
 
 初等中等教育で、デジタル時代のリテラシーを教えるべきだとずっと思っているのだが、実現のメドはない。大学にしても、権威頼りの重鎮の教授から、お金集めの上手い先生に(若くても)権限が移ったのはいいとして世界に通じる高等教育かは疑問符が付く。デジタル時代に乗り遅れた官庁だと思う。
 
<続く>