Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

マイナンバーへの長い道(2)

 国民総背番号制度やグリーンカード構想が目指したものは、恐らく税制からの改革だったのではないか。個人(もしくは世帯)にはさまざまな収入の可能性がある。会社勤めの給料・賞与もあれば、株式配当や売却益などの金融所得もある。不動産売買や相続もあるだろう。最近は、複数の機関から給与等を得ている人も増えて来た。

 税制から見れば、個人所得や資産の正確な把握をしたいのは当然である。政府が税の増収を見込むからという話ではなく「持てる者から持たざる者への再配分機能」が税のひとつの役割であるから、誰が本当に「持っている」のかを知るのは基本中の基本。ただし、基本がうまくできるとは限らない。

 戦国末期の太閤検地と刀狩りは、豊臣政権の強力さを物語るエピソードだ。現代の米国ができない「銃規制=刀狩り」ができたというだけではない。古来「隠し田」などというものは常識だった。貴族も寺社も、村長(むらおさ)にいたるまで持つべきものは持っておいて、隠せるだけ隠していたわけ。米本位制・土地本位制の時代にあって、検地ができたという意味は大きい。

 当時の大蔵省が「大蔵検地」をやろうとしたのが、国民総背番号制グリーンカードだったのではないかと僕は思う。銀行口座や給与所得、金融所得、不動産取引など全てに個人番号を振れば、所得や資産の正確な把握に近づくからだ。それでは、誰が反対するのか。それは「持てる者」のはずである。隠し田ならぬ隠し資産・収入源を持っている人にとっては、ゆゆしきこと。表立って騒ぐのは人権団体や特定の政党なのだが、本当にこれらを潰そうとしたのは別の人たちではなかろうか?
 

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 さて、それでは今回「番号法」はなぜ成立したのか。「持てる者」の反撃が低調になったというのが普通の考え方だろう。その理由だが、楽観的に言うなら日本社会が成熟してある程度透明化してきたこと。政治家含め官民とも、情報公開に関する制度整備が進んでいるのは事実である。悲観的に言うなら、経済がグローバル化して日本だけで隠す必要性が薄れたこと。「パナマ文書」などはその一環なのかもしれない。

 <続く>