Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

富山市長の挑戦(3/終)

 森市長は今回の当選後のインタビューでも、富山駅南北に分かれているライトレール(北側)と市電(南側)の接続に意欲を見せている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLZO15413610X10C17A4LB0000/

 富山市の中心が富山城だとすると、富山駅はそこから北に400mばかり離れている。市役所・県庁も富山城に隣接していて駅から300mはある。おそらくは市街を少し外したところ鉄道を引き、駅舎をたてたものと思われる。やがて駅の北側にも街は広がっていった。富山駅からは港の方(北)に伸びる支線があって「富山港線」と呼ばれていた。港の荷揚げ物資を運ぶ路線だったのだろうが、国鉄の赤字路線にひとつであり廃線になりかねないところ、2006年にJR西日本から第三セクター富山ライトレールに移管されて存続した。

 このライトレール、駅の南側でそれなりに運行している市電とつながれば利便性が向上するのは疑いない。しかし富山駅は地面の高さの駅で、富山市北陸本線によって分断された形状になっている。迂回路は(歩くと)かなり遠く、駅の地下に歩道が通っているのが精一杯の連絡状況である。これが一変したのが、北陸新幹線の開業。新幹線がやってきて、富山駅(線路)は2階以上の高さに上がり、1階部分は人や車が通行できるようになった。それならば、ライトレールと市電の接続も可能性が出てくる。

 

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 富山市コンパクトシティ構想は、なにがなんでも中央(富山駅や富山城)周辺に住居を集めようというものではない。「串と団子の街づくり」といって、鉄道の駅や基幹バス停を基点に半径500m以内に住居を持ってもらうこと(団子)とし、それらの間は鉄道やバスが結ぶ(串)という考え方であある。

 こういう発想はよくあるのだが、ここからの実行力が違う。住居を建てるにあたり、上記500m圏内ならば助成金をはずむ、1mでも外側ならビタ1文払わないという徹底した差別化政策である。こういう施策を10年以上続けていると、ある程度団子の中に住居が集まってくる。その状況が、前編のときに述べた地図上に住民基本台帳情報を貼り付けたもので確認できるわけだ。

 クルマ社会富山で公共交通機関を大事にし、高齢化社会を楽しく暮らせるようにしようとする森市長とスタッフたちの戦い、今後も期待していますよ。

 

<初出:2017.4>