前回「走狗」がウサギがいなくなる危機に直面したら、というケーススタディをしてみた。賢い「走狗」はもう少し前から考える。つまり、ウサギ討伐に手心を加えてこれを延命させるのだ。例えば「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事がある。蜀の宰相諸葛孔明と対峙した魏の将軍司馬仲達は、孔明が病死して退却する蜀軍に対しワナがあるのではと恐れて追撃をしなかった。陳舜臣はこれを、仲達が無能だったのではなく、深謀遠慮があったと書いている。
仲達がわざと蜀軍を逃がした理由は2つ。ひとつには、蜀軍の主力をここで壊滅させてしまったら魏の天下統一は早まり、自分は「走狗」になってしまうこと。もうひとつには、自分はそれほど有能ではないことを魏王に示し、ライバルにはならないと思わせること。もちろん、無能のレッテルを貼られてしまえばライバル視以前にクビだから、ある程度の戦果は挙げないといけない。その匙加減が難しい。
仲達の深謀遠慮は、やがて子の代になって主家である「魏」を追い落とし「晋」という王朝を開くことで結実する。いわゆる三国志正史はここまでを書いているのだが、三国志演義は「秋風五丈原」つまり孔明の死で終わっているので、あまりなじみの無い話かもしれない。
仲達がわざと蜀軍を逃がした理由は2つ。ひとつには、蜀軍の主力をここで壊滅させてしまったら魏の天下統一は早まり、自分は「走狗」になってしまうこと。もうひとつには、自分はそれほど有能ではないことを魏王に示し、ライバルにはならないと思わせること。もちろん、無能のレッテルを貼られてしまえばライバル視以前にクビだから、ある程度の戦果は挙げないといけない。その匙加減が難しい。
仲達の深謀遠慮は、やがて子の代になって主家である「魏」を追い落とし「晋」という王朝を開くことで結実する。いわゆる三国志正史はここまでを書いているのだが、三国志演義は「秋風五丈原」つまり孔明の死で終わっているので、あまりなじみの無い話かもしれない。
目をヨーロッパに転じると、ローマ帝国滅亡後中小国の戦争は日常茶飯事になっている。国と呼べないほどの大きさの領地を持つ王は、常備軍を整備するのではなく傭兵を雇うことも多かった。古来農業生産に厳しい気候のスイスでは、最大の輸出品は「傭兵」だったりする。さてこの傭兵部隊、それそのものが「走狗」である。
2つの国が国境付近で対峙していて、その主力は両方とも傭兵部隊。この「戦争のプロ」たちは、さぞ激しく戦ったかというとそうでもない。圧勝してしまったら自分たちの仕事がなくなってしまうので、それは困るのだ。もちろん、死んだり重傷を負ったりするリスクは避けたいと思うのが当たり前。さらに、傭兵同士知り合いであることもまれではない。これでは、激烈に戦えと言う方がおかしい。
「走狗」の知恵は、中国に限らずどこにでもあるのだろう。
<続く>