Cyber NINJA Archives

2016年からの旧ブログを整理・修正して収納します。

論理学とミステリー

 高校2年生の後半に、理系・文系の進路希望調査があった。本当は「舌先三寸」商売がしたかったので文系を望んだのだが、「手に職」が必要と両親・親戚にあおられて理系に希望を出してしまった。(情けない・・・)
 
 さて具体的な学部・学科を選ぶにあたり、真剣に悩んだ。工学部にしても農学部にしても「現場」作業が伴う。医学部は血を見るのがイヤだし、理学部ならまあいいかと思ったりした。ところが、ここでも周囲から「理学部では食えない。せいぜい教師だ。工学部にしろ」と言われて困ってしまった。教師というガラではないのは確かだが、工学部って、現場がある上に製図が必修だというではないか、面倒くさいのが苦手なので製図は避けたい。
 
 悩んでいるうちに耳よりな話があった。最近、各大学の工学部に「情報工学科」というのが新設されているという。調べてみるとプログラム実習はあるものの、製図は必修ではないという。「あ、これ。これ」とばかり願書を出し、ひとつ合格することができた。しばらく学んでみて、コンピュータ・サイエンスは文系的要素ももった学問だという印象を持った。典型的なのが論理学である。論理記号を使って数式のようなものを書くこともあるが、自然言語(例えば日本語)を使うこともある。

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 AならばBという論理があれば、BならばA(逆)・AでなければBでない(裏)・BでなければAでない(対偶)というのが議論できる。一般に、AならばBが正しければ対偶も正しい。ところが有名なパラドックスがあって、「叱られなければ勉強しない」子供がいたとして、対偶をとると「勉強すれば叱られる」となってしまう。Aの部分を考えると、叱られないの否定形だから叱られるとなるわけだ。この対偶って本当に正しいの?このあたりが面白い。
 
 中学生時代からの趣味であるミステリーにも論理学かこれに類したものは良く出てくる。例えばエラリー・クイーンは、国名シリーズなどで事件を解決したとき「Q.E.D.」(証明終わり)と宣言する。ハリイ・ケメルマンも論理学の匂いのするミステリをいくつか書いた。多作家ではないので、長編はユダヤ教の青年ラビであるラビ・スモールを主人公(探偵)にした数編があるだけだ。短編では、ニッキイ・ウェルト教授を主人公にした珠玉の名作がある。代表的なものが「9マイルは遠すぎる」で、「9マイルは遠すぎる。まして雨の中ではなおさらだ」という短い文章だけから現実の事件が暴かれていくというもの。
 
 以前、ミステリーは稚気の文学と書いたが、論理学も稚気の学問だと思う。どちらも好きである。
 
PS:大学の学部についての評価は当時(40年以上前)のものであるのでご容赦を。
 
<初出:2016.6>